できそこないのバイリンガルが労務をやることになったはなし

💁‍♀️プロフィールはこちら

まだ女の子だった時代

親の仕事の関係でアメリカに7~8歳の頃住んでいました。そのあとはずっと東京。
アメリカに住んでいた頃から英語力はほぼ変わらず小学校2年生のアメリカ人が話す英語に毛が生えた程度の英語力をずっとキープ。
中学校に入って「ABCの書き方から始めるんかい」と余裕こきすぎていつの間にか全然授業についていってなかった。気づいた時にはすでに時遅し。全然文法わかりません。
耳だけはいいらしく、オーストラリアに2週間ホームステイに行ったらオーストラリアなまりになり、ハリーポッターにハマってイギリスなまりになり、キレイなアメリカ英語はどこへやら。

 

大学・大学院時代

小学校の先生になるのを夢見て東京の教育大学に進学。
幼少期における第二言語習得の研究をしていて、その中でも音声が与える影響について学んでいました。
実は小学校だけではなく、中学校と高校の英語教員免許も持っています。
でもいまだに目的語が何なのかよくわかりません。

「できそこないのバイリンガル」のキャッチフレーズは「いわゆるバイリンガルほど英語ができる訳でもないけど、日本語もちょっと怪しい」と大学の同期にこの頃つけられました
(愛のあるいじりだと信じて地味に気に入っています)

 

小学校教員時代

大学院の2年目で就職。小学校英語の専任(英語だけ教えている先生)のポジションは滅多に空きません。 学生ではあったものの、とある私立小学校でポジションが空いたからとお声かけいただき就職を決めました。

正直あまり記憶がないですが、結局、いろいろ思うこともあり研究に戻ろうと決意して退職しました。

 

フリーランス時代

疲れ果てていたのでひとまず休息…と思っていたものの生きていくのにお金はかかる。
生活費のためにと知り合いが始めたプロジェクトのお手伝いをしていたのですが、いつの間に一緒に一般社団法人を立ち上げてました。

資料の英訳に始まり、英語スピーチの練習をするための音源の作成、音源いらないから代わりにやってよといつの間にかスピーチをする側に。
コンテンツの企画やらプロジェクト管理まがいなこともしていました。人手が足らないところでよく聞く展開ですね…

でもこの時初めて「教育以外で自分も食べていけるんだ」と実感したのを覚えています。 教育に戻る気にもなれず大学院を中退し、ずっとフリーランスもなぁと思い、初めて「会社」に身を置こうと決心。

 

ITベンチャー時代

教員になった時も研究室からの引き抜きだったので就職活動はおろか、面接すら受けたことがない。多分最後に受けた面接は高校の英検。

そんな中でこんなよくわからない経歴でも取ってくれるならどこでも!とたまたま求人で見つけたITベンチャーの英語事務に応募。
無事採用され、他の会社を受ける気力もなく入社。

入社初日に社長に呼び出され告げられた事実。
「取引先がみんな英語しか話せなかったんだけど、新しく日本人の担当者ついたから英語事務必要なくなった。労務やらない?」

初めての就職で「辞めます」なんて言えないし、何より別に英語事務がやりたかった訳でもなく、英語事務しかできるってわかってたことがなかっただけなので言われるがまま労務担当を襲名。

そんなこんなでできそこないのバイリンガル労務をやることになったわけです

労務担当ね」と言われたものの、何も知らない。
フリーランス時代は国民年金国民健康保険と住民税との区別がつかないまま納付書をコンビニに持っていってとりあえず支払う生活をしていた人が引き継ぎ書も何もない中、急に全社員の社会保険やら給与やらを任せられました。いや、本当にメモすらない。

ここから「初めての社会保険」みたいな本を片手に毎日社労士に電話し、フロー作り。

ひとしきり体制を作り終えて燃え尽きたなぁと感じたタイミングで、1人でもくもくと闘うのではなく、一緒に労務と向き合える仲間がいるところに行きたい!と少し大きいIT系企業に転職しました。

 

現職

英語が話せるメンバーがいない中、「英語話せます!」を売りに入社した私は入社後ひたすら社内向けの労務関連情報を英訳していく作業をしていました。
確かに英語できるとはいったものの、私、小学校の英語の先生だったんです。動物なら結構英語で言えます。ついこの間までElephants! Giraffes! Zebras!とか言ってた人が急に「被扶養者になるためには年収130万円未満でなくてはなりません」とか英語で言えるわけがないんですよ。
毎日英語の勉強しているのかなと言う日々。

日本語を話せない社員も増え、入社手続きや退職手続きを英語でできるようにしてみたり、海外新卒の受け入れ体制を整えたり、その度に壁に打ち当たり、学び、成長しの繰り返し。
外国籍社員がぶつかる問題解決係みたいになり、「とりあえずあの人に聞けばきっとわかる」のあの人になんとなくなれました。
(なったら最後、何でもかんでも聞いてくる。日本でどれくらい貯金持ってた方がいい?って聞かれても知らんとしか言えない。)

気づけばルーティンらしいルーティン業務もほぼなくなり、転籍スキームの確立、ちょっとした税務問題、業務改善、データ分析みたいなことをやっています。
いかに作業をラクにこなして作業以外に頭を使うかを考え、課題を潰す毎日です。

課題がない日はないのだろうかと思うくらい毎日新しいことにぶつかって、考えて、失敗して、なんとか形にする。
気づいたらそんな労務生活も3年目があとちょっとでやってくるのに、記憶がほぼないので備忘録はじめました。
キラキラした系を書くのは苦手なのでガッツリ実務系を書いていく予定です。